第1 はじめに:介護施設の転倒事故と法的責任
介護施設で発生した転倒事故は、高齢者にとって骨折や頭部外傷など重篤な結果につながることが少なくありません。
施設側から「高齢なので仕方ない」「本人が急に動いた」などの説明があったとしても、法的には、施設は利用者を転倒リスクから守るべき法的義務(安全配慮義務)を負っています。この義務を怠った結果として事故が発生した場合、施設に対して法的責任を追及できる可能性があります。
本稿では、介護施設での転倒事故について、施設の法的責任の根拠、責任が問われる具体的なケース、請求できる損害賠償の内訳、そして事故発生後にご家族が取るべき行動について、解説します。
本稿の構成
第2 介護施設の法的責任の根拠(安全配慮義務)
介護施設は、施設利用契約に基づき、利用者が施設内で安全に生活できるよう配慮する義務(安全配慮義務)を負っています。転倒事故との関係では、この義務は主に「予見可能性」と「結果回避可能性」の観点から判断されます。
1 予見可能性
施設が、利用者の心身の状態や過去の転倒歴、施設環境などから、「この利用者は転倒するかもしれない」という危険性を具体的に予見できたか、あるいは予見すべきであったかという点です。
⑴ 利用者の内的リスク要因の把握
ア 身体機能の低下(筋力、バランス能力など)
イ 病気や後遺症(脳血管疾患、パーキンソン病など)
ウ 認知症による判断力・注意力の低下
エ 薬剤の副作用によるふらつき
⑵ 施設の外的リスク要因の把握
ア 施設環境(床の状態、段差、照明、手すりなど)
イ ケアに関する要因(見守り体制、介助方法など)
施設は、これらのリスク要因をアセスメント(評価)し、正確に把握する義務があります。
2 結果回避可能性
転倒の危険性を予見した(または予見すべきであった)上で、転倒という結果を回避するための適切な措置を講じることができたかという点です。具体的な措置としては以下が挙げられます。
⑴ 個別的な転倒予防策の計画・実施(ケアプランへの反映)
⑵ 見守り体制の強化(巡視頻度の増加、離床センサーの設置など)
⑶ 利用者の状態に応じた適切な介助(移乗、歩行、トイレ介助など)
⑷ 安全な施設環境の整備(障害物の除去、手すりの設置など)
⑸ 職員間の情報共有の徹底
これらの措置を合理的な理由なく怠っていた場合、施設には注意義務違反(過失)があったと判断される可能性が高くなります。
第3 施設の責任が問われうる具体的な事例
施設の注意義務違反が認められ、法的責任が問われる可能性が高い具体的な事例は以下の通りです。
1 リスク評価(アセスメント)の不備
利用者の転倒リスクを正確に評価せず、必要な対策がケアプランに盛り込まれていなかった結果、事故が発生したケース。
2 見守り体制の不備
夜間やトイレ誘導時など、特に転倒リスクが高い場面での見守りが手薄であった、あるいは離床センサーが適切に活用されていなかった結果、事故が発生したケース。
3 介助方法の誤り
移乗や歩行の介助中に、職員が不適切な方法で介助を行ったり、注意を怠ったりしたために、利用者が転倒したケース。
4 危険な施設環境の放置
床が濡れていた、廊下に障害物が置かれていた、必要な手すりがなかったなど、施設内の物理的な危険を放置した結果、事故が発生したケース。
5 職員間の情報共有不足
利用者の状態変化(ふらつきの増加など)や服薬状況の変更といった重要な情報が職員間で共有されず、適切な対応が取られなかった結果、事故が発生したケース。
6 繰り返す転倒への対策不足
利用者が何度も転倒を繰り返していたにもかかわらず、実効性のある再発防止策を講じなかった結果、重篤な転倒事故に至ったケース。
第4 施設の責任が限定・否定される場合
転倒事故が発生しても、法的に施設の責任が限定されたり、否定されたりする場合があります。
1 予見・回避が極めて困難な突発的事故
施設が適切な予防策を講じていたにもかかわらず、利用者の予期せぬ急な体調変化など、予測不能な原因で突発的に転倒した場合。
2 利用者の予測不能な行動による事故
職員がすぐそばで対応しようとしていたにもかかわらず、利用者が突然職員を振り払うなど、予測・制止が困難な行動をとって転倒した場合。
第5 請求できる損害賠償の内訳
施設の責任が認められた場合、請求できる主な損害項目は以下の通りです。
1 治療関係費
事故後の入院費、手術費、診察費、リハビリ費用、通院交通費など。
2 入通院慰謝料
転倒による傷害で入院や通院を余儀なくされた精神的苦痛に対する賠償。
3 後遺障害に関する損害
⑴ 後遺障害慰謝料
事故によって後遺障害(寝たきり、麻痺、関節の機能障害など)が残った場合の精神的苦痛に対する賠償。
⑵ 将来介護費用
後遺障害によって事故前より介護の必要性が増した場合の、将来にわたる介護費用。
4 死亡に関する損害
転倒事故が原因で利用者が死亡した場合、死亡慰謝料や葬儀費用などを請求できます。
第6 事故発生後にご家族が取るべき行動
事故の真相を究明し、施設の責任を適切に問うためには、事故発生後の迅速な行動と証拠の確保が重要です。
1 施設からの詳細な事実確認と記録
事故の状況(いつ、どこで、誰が、何をしていたか)、発見時の状況、発見後の対応の時系列などを具体的に確認し、説明内容を日時や担当者名と共に記録します(録音も有効です)。
2 介護記録一式の開示請求
施設の過失を検証する上で最も重要な証拠です。アセスメントシート、ケアプラン、経過記録、事故報告書、ヒヤリハット報告書などを網羅的に開示請求します。
3 医療記録の確保
診断書や診療録(カルテ)を入手し、転倒によって生じた傷害の内容を客観的に証明します。
第7 Q&A:転倒事故に関するご質問
Q1 施設から「高齢なので転ぶのは仕方ない」と言われました。責任は問えませんか?
A1 いいえ、その説明だけで諦める必要はありません。介護施設は、高齢で転倒リスクが高い利用者を預かる専門施設であり、そのリスクを前提とした上で安全を確保する義務があります。予見可能なリスクに対して適切な対策を怠っていたのであれば、法的責任を問える可能性は十分にあります。
Q2 本人が自分で動こうとして転んだようです。施設の責任は問えませんか?
A2 問える可能性があります。施設には、利用者がなぜ危険な行動をとろうとするのか(例:トイレに行きたい)を予測し、その背景にあるニーズに応えることで事故を予防する義務があります。離床センサーの設置や計画的なトイレ誘導など、講じるべき対策を怠っていたのであれば、たとえ本人の行動がきっかけでも施設の責任が問われます。
Q3 施設内で何度も転倒していました。今回の事故で施設の責任は重くなりますか?
A3 はい、重くなると考えられます。転倒を繰り返していた事実は、施設側が転倒リスクを明確に予見できたことを意味します。にもかかわらず有効な再発防止策を講じずに重篤な事故を発生させた場合、施設の注意義務違反の程度は大きいと評価される可能性が高いです。
第8 まとめ:転倒事故の責任追及は専門家にご相談ください
介護施設での転倒事故は、「高齢だから仕方ない」と片付けられる問題ではありません。施設には法的な安全配慮義務があり、その義務が果たされていたかを客観的に検証することが重要です。
施設の責任を問うためには、介護記録などの証拠を確保し、専門的な観点から分析する必要があります。施設の対応に疑問を感じた場合は、一人で悩まず、介護事故に精通した弁護士に早期にご相談ください。