第1 はじめに:食事中の事故と施設の法的責任
介護施設での食事中に誤嚥事故が発生し、施設側から「職員が見守っていたが、少し目を離した隙だった」といった説明を受けることがあります。ご家族としては、施設側の見守りが十分であったかについて、疑問が生じることが少なくありません。
介護施設は、施設利用契約に基づき、利用者の生命・身体の安全を確保する義務(安全配慮義務)を負っています。食事場面においては、利用者一人ひとりのリスクに応じた質の高い見守りを行うことが、この義務の具体的な内容となります。
本稿では、食事中の見守りが不十分であったことを理由に施設の法的責任を問うことができるのはどのような場合か、その判断基準となる法的な義務の内容、具体的な事例、そしてご家族が確認すべき事項について解説します。
本稿の構成
第2 食事介助における安全配慮義務の具体的内容
介護施設の安全配慮義務は、食事場面において、単に利用者のそばにいるという形式的な見守りにとどまりません。専門職として高度な注意を払うべき、以下の具体的な義務が含まれます。
1 注意深く継続的な観察
一口ごとの嚥下状態、食事のペース、一口量、危険な食べ方(詰め込み、丸呑み等)の有無、顔色や呼吸状態などの全身状態を注意深く継続的に観察する義務。
2 適切な介入
危険な食べ方を認めた場合、具体的な声かけや、一口ずつ提供するなどの食事介助の調整、むせ込みが激しい場合の食事の一時中断など、危険を回避するための実効性のある介入を行う義務。
3 異常の早期発見と救護
誤嚥や窒息の兆候(激しいむせ込み、声が出せない、チアノーゼ等)を早期に発見し、直ちに食事を中止して、背部叩打法等の気道異物除去や救急要請といった適切な救命措置を開始する義務。
4 個別リスクに応じた体制構築
利用者一人ひとりの嚥下リスクを事前に評価(アセスメント)し、そのリスクレベルに応じた見守り体制(人員配置、観察の密度、介助方法など)をケアプランとして計画し、実行する義務。
第3 見守り義務違反の判断基準(予見可能性と結果回避義務)
施設の法的責任の有無は、主に「予見可能性」と「結果回避義務」の2つの観点から判断されます。
1 予見可能性(事故を予測できたか)
施設が、専門職として、当該利用者に誤嚥・窒息事故が発生する具体的な危険性を事前に予測できたかという点です。以下の情報から、予見可能性の程度が判断されます。
⑴ 利用者の個別的リスク要因
ア 嚥下機能のレベル(食事形態の指示など)
イ 認知症の有無と程度(早食い、詰め込み等の危険行動)
ウ 過去の誤嚥歴や食事中のむせ込みの頻度
エ 前施設からの引継ぎ情報(看護・介護サマリーなど)
オ 入所後の家族からの相談内容(例:「とろみ食が必要ではないか」など)
カ 事故当日の体調(発熱、傾眠傾向など)
特に、事故以前のヒヤリハット報告書は、施設自身がリスクを認識していたことを示す客観的な証拠として極めて重要です。
2 結果回避義務(事故を防げたか)
事故の危険性を予見できた上で、その発生を回避するための適切な措置を講じていたかという点です。
⑴ 施設側の体制
利用者数やリスク構成に対し、食事時間帯の職員配置(人数と専門性)は十分であったか。見守り担当職員が他の業務を兼務し、観察に集中できない状況ではなかったか。
⑵ 職員の具体的な介助・見守り行動
一口ごとの嚥下確認や適宜の水分補給といった基本的な介助が行われていたか。利用者の食事ペースを無視した性急な介助がなかったか。
第4 施設の責任が問われうる具体的な事例
見守り義務違反が認められ、施設の法的責任が問われる可能性が高い具体的な事例は以下の通りです。
1 高リスク者への個別的な見守りを怠った
嚥下機能の低下が指摘されていた利用者に対し、職員の近くに席を配置するなどの個別的配慮を行わず、職員が他の利用者の介助に追われている間に事故が発生したケース。
2 入所直後で特に注意すべき利用者の観察を怠った
利用者の心身の状態を十分に把握できていない入所直後は、環境の変化による心身の負担も考慮し、特に注意深い観察が求められます。これを怠り、漫然とした介助を行った結果、事故に至ったケース。
3 慢性的な人員不足により十分な見守りができない体制だった
食事時間帯の職員数が恒常的に不足しており、個々の利用者を注意深く観察する余裕がなかった結果、事故が発生したケース。個々の職員の過失ではなく、施設全体の管理体制の不備として責任が問われます。
4 異変の兆候を発見しながら放置した(注視義務・救護義務違反)
食事中に利用者が動きを止める、肩を叩いても反応が鈍いなどの異変に職員が気づいたにもかかわらず、適切な対応を怠ったケース。呼吸状態の確認や背部叩打法等の救護措置を行わず、また、容態を継続して注視することなくその場を離れた結果、利用者が窒息に至った場合などがこれにあたります。
第5 施設の責任が限定・否定される場合
施設が適切な見守り義務を果たしていても、法的な責任が問われにくいケースも存在します。
1 予見・回避が困難な突発的事故
事前のリスク評価が低く、事故の予兆も全くない利用者が、脳梗塞の発症など急激な体調変化によって突発的に誤嚥を起こし、職員が即座に気づき適切な対応を行った場合。
2 やむを得ない理由によるごく短時間の離脱
他の利用者の急変対応など、緊急かつ正当な理由で、担当職員がごく短時間(数秒程度)目を離した間に事故が発生した場合。ただし、事故に遭った利用者のリスクレベルや施設全体の応援体制などを総合的に考慮し、その離脱がやむを得なかったかが厳しく判断されます。
第6 ご家族が確認すべき事項と証拠収集の方法
見守りの実態を明らかにするためには、客観的な証拠の収集が不可欠です。
1 事故発生状況の聴き取りと記録
施設に対し、事故発見時の担当職員の具体的な行動や、事故の時系列について詳細な説明を求め、日時、担当者名、説明内容を記録します。
2 介護記録の開示請求と分析
見守りの実態を把握するため、以下の記録を開示請求し、精査します。
⑴ 事故報告書
⑵ 経過記録(ケース記録、看護記録)
⑶ ケアプラン・アセスメントシート
⑷ 前施設からの看護・介護サマリー
⑸ 職員の勤務シフト表
⑹ ヒヤリハット報告書
第7 Q&A:「食事中の見守り」に関する疑問
Q1 本人は自分で食事をしていました。それでも施設の責任を問えますか?
A1 はい、問える可能性は十分にあります。利用者が自力で食事を摂取している場合でも、施設には利用者の嚥下能力や食事の様子を観察し、危険があれば介入する「見守り義務」があります。嚥下リスクが高いとアセスメントされていたにもかかわらず、単に配膳して放置していた、危険な食べ方(早食い、詰め込み等)を認識しながら介入しなかった、といった場合には、見守り義務違反として責任が問われることがあります。
Q2 食堂に複数の職員がいても、見守り義務違反になることはありますか?
A2 はい、あり得ます。重要なのは職員の人数だけでなく、その配置や業務内容です。職員がいても、配膳や記録作業に追われ、利用者を継続的に観察できない状況であれば、実質的に見守りが不十分であったと判断される可能性があります。
Q3 過去にむせ込みはありましたが、いつも大事には至りませんでした。それでも施設の責任を問えますか?
A3 はい、問える可能性は高いです。過去の度重なるむせ込みは、事故の危険性を具体的に予測できたことを示す重要な事実(予見可能性)です。「いつも大丈夫だった」というのは結果論に過ぎず、施設がその危険な兆候を認識しながら、食事形態の見直しやより注意深い観察・介助といった具体的な対策を怠っていたのであれば、安全配慮義務違反に該当する可能性があります。
第8 まとめ:見守りの適切性の検証は専門家にご相談ください
介護施設における食事中の事故は、単なる不運ではなく、施設の安全配慮義務違反が原因である可能性があります。
「ちょっと目を離した隙」という説明の背景に、人員不足やリスク評価の甘さ、不適切な介助といった構造的な問題が隠れていないかを検証することが重要です。
そのためには、介護記録などの客観的な証拠を収集・分析し、法的な観点から見守りの適切性を評価する必要があります。ご家族だけで対応することが難しい場合も多いため、介護事故に精通した弁護士に早期にご相談ください。