第1 はじめに:介護記録の重要性
介護施設で発生した事故について、施設側の説明に曖昧な点や納得できない点があり、事故の客観的な事実を知りたいと考えるご家族は少なくありません。
事故の原因を究明し、施設の対応が適切であったかを検証する上で、極めて重要な手がかりとなるのが、施設が作成・保管する「介護記録」および「事故報告書」です。これらの記録には、施設側の説明だけでは明らかにならない事実や、施設の過失を示す情報が含まれている可能性があります。
本稿では、介護事故の真相究明に不可欠な介護記録について、その法的な重要性、主要な記録の種類と分析のポイント、そしてご家族が入手するための具体的な手続きについて解説します。
本稿の構成
第2 介護記録の法的意義と証拠価値
介護施設には、提供したサービスの内容や利用者の心身の状態について記録を作成・保管する法的義務があります。これらの記録は、事故原因の究明や施設の法的責任を判断する上で、重要な「証拠」としての価値を持ちます。
1 介護記録が証拠として持つ価値
介護記録を分析することで、以下の点を客観的に検証することが可能となります。
⑴ 事故前のリスク評価の妥当性
施設が利用者の転倒や誤嚥等のリスクを事前にどの程度評価・認識していたか。
⑵ リスクに対する対策の具体性と実施状況
認識したリスクに対し、具体的にどのような対策を計画し、実行していたか。
⑶ 日常のケアの実態
計画通りのケアが適切に行われていたか、事故の予兆はなかったか。
⑷ 事故発生時の状況と事後対応の適切性
事故の発見状況や、救命措置・救急要請が迅速かつ的確に行われたか。
2 施設側の注意義務違反(過失)の判断材料
これらの情報を総合的に分析し、施設側が尽くすべき注意義務(安全配慮義務)を果たしていたかを判断します。したがって、介護記録の入手と分析は、施設の責任を問う上で不可欠な第一歩となります。
第3 開示を求めるべき主要な介護記録とその記載内容
介護事故の原因究明において、特に重要となる記録の種類と、確認すべき主なポイントは以下の通りです。
1 アセスメントシート・ケアプラン
利用者の心身の状態や事故リスクを施設がどう評価し、どのような対策を計画していたかを示す基本的な書類です。
⑴ 確認すべきポイント
ア リスク評価が具体的か(例:転倒リスク評価スケールの使用の有無)。
イ リスクに応じた具体的な対策が計画されているか(例:「転倒注意」という抽象的な記載ではなく、「歩行時は職員付き添い」など)。
ウ 利用者の状態変化に応じて、定期的に見直しが行われているか。
2 経過記録(ケース記録、介護記録、看護記録)
日々のケアの実態や事故発生時の状況が記録されています。
⑴ 確認すべきポイント
ア 事故前の利用者の状態変化(ふらつきの増加、むせ込み等)の記録と、それに対する職員の対応。
イ 事故発生時の記録が、5W1H(いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのように)に基づき、時系列で具体的に記載されているか。
ウ 看護記録と介護記録など、異なる記録間で内容に矛盾がないか。
3 ヒヤリハット報告書・インシデントレポート
事故には至らなかったものの、「ヒヤリ」とした事例や軽微な事故の記録です。
⑴ 確認すべきポイント
ア 今回の事故以前に、類似のヒヤリハットが報告されていたか。
イ 報告に対し、有効な再発防止策が検討・実施されていたか。
4 事故報告書
事故発生後に施設が公式に作成する報告書です。
⑴ 確認すべきポイント
ア 記載された発生状況が、経過記録など他の記録と矛盾しないか。
イ 原因分析が、個人の不注意だけでなく、施設全体の体制面の問題にまで踏み込んでいるか。
ウ 再発防止策が具体的かつ実効性のあるものか。
第4 介護記録を分析する際の着眼点
介護記録は客観的な証拠ですが、その内容を批判的な視点で読み解くことが重要です。
1 記録の具体性
「見守り実施」「変わりなし」といった抽象的な記録が多い場合、実際のケアが不十分であった可能性があります。具体的な観察内容が記載されているかを確認します。
2 記録の連続性
本来記録されるべき時間帯や場面の記録が欠落している場合、記録体制の不備や意図的な隠蔽の可能性を検討します。
3 記録間の整合性
異なる記録間(例:介護記録と看護記録)や、施設側の口頭説明と記録内容に矛盾がないかを確認します。矛盾点は事実関係の歪曲を示唆します。
4 不自然な修正・追記の有無
筆跡やインク色の違い、不自然な時系列など、記録が事故後に作成・改ざんされた可能性を示す形跡に注意します。
第5 事故報告書の性質と留意点
事故報告書は事故の概要を知る上で重要ですが、その内容をそのまま事実として受け入れることには注意が必要です。
1 自己弁護的な記載の可能性
施設側の法的責任を考慮し、施設に不都合な事実を記載しなかったり、過失を軽微に見せたりする表現が用いられることがあります。
2 原因分析の客観性
事故原因が職員個人の問題に矮小化され、施設の組織的な問題(人員不足、教育体制の不備など)が看過されている場合があります。
3 他の記録との比較検討の必要性
事故報告書の記載が客観的な事実に即しているかを判断するためには、経過記録や看護記録など、他の記録と突き合わせ、矛盾点がないかを検証する作業が不可欠です。
第6 介護記録の開示請求手続
介護記録を入手するためには、施設に対して「開示請求」を行う必要があります。
1 開示請求権
利用者本人やその法定相続人は、個人情報保護法などに基づき、介護記録を開示請求する法的権利を有します。
2 開示請求の方法
後日の証拠とするため、開示を求める記録の種類と期間を特定した書面を作成し、配達証明付き内容証明郵便で送付する方法が確実です。
3 施設が開示を拒否する場合の対処法
施設が正当な理由なく開示を拒否・遅延する場合は、市区町村の介護保険担当課等に相談するほか、弁護士会照会や訴訟における文書提出命令など、より強制力のある法的手段を検討します。弁護士が介入することで、施設が任意開示に応じる可能性も高まります。
第7 Q&A:「介護記録・事故報告書」に関する疑問
Q1 開示された記録が少ない、あるいは内容が非常に曖昧です。どう考えればよいですか?
A1 記録が不十分であること自体が、施設の記録義務違反や、ずさんな管理体制を示唆している可能性があります。「記録がないから問題がなかった」のではなく、「記録がないこと自体が問題である」として、施設の責任を追及できる場合があります。
Q2 記録が改ざんされている疑いがあります。証明できますか?
A2 改ざんの直接的な証明は容易ではありません。しかし、筆跡やインクの違い、他の客観的証拠(医療記録や救急活動記録など)との矛盾点を複数指摘することで、記録の信用性がないと裁判所に判断させ、施設側の主張を退けられる可能性があります。
Q3 事故報告書の内容に納得できません。修正を求めることはできますか?
A3 施設に修正を法的に強制することは困難です。しかし、どの部分が事実に反するのかを根拠と共に書面で指摘し、施設の見解を求めることは重要です。そのやり取り自体が、後の交渉や訴訟において有利な証拠となる可能性があります。
第8 まとめ:介護記録の分析は専門家への相談が不可欠です
介護施設での事故の真相を究明する上で、介護記録や事故報告書は極めて重要な証拠です。
しかし、その記録を法的な観点から分析し、隠された問題点を見抜くためには、専門的な知識と経験が不可欠です。記録を多角的・批判的に分析し、医療記録や救急活動記録など他の客観的証拠と照らし合わせることで、初めて事故の全体像が明らかになります。
介護記録の開示請求やその後の分析、施設との交渉でお困りの場合は、一人で悩まず、介護事故に精通した弁護士にご相談ください。