第1 はじめに:「お願いしていた食事と違う…」それが事故の原因では?
大切なお身内が介護施設で誤嚥事故に遭われた。その悲しみの中で、ふと疑問がよぎります。「そういえば、父(母)は飲み込みが悪くなっていたから、刻み食をお願いしていたはずなのに…」「ペースト食で、とろみもつけてもらう約束だったのに、本当にそうなっていたのだろうか?」「もし、指示と違う普通の食事が出ていたとしたら、それが事故の原因なのではないか?」
食事は、高齢者にとって日々の大きな楽しみですが、嚥下(えんげ)機能、つまり飲み込む力が低下してくると、誤嚥のリスクと隣り合わせになります。そのため、介護施設では、利用者一人ひとりの状態に合わせて、食事の形態(普通食、刻み食、ミキサー食など)や内容(とろみの有無・程度など)を適切に調整することが、誤嚥事故を防ぐための基本中の基本となります。
もし、事前の評価(アセスメント)や、ご本人・ご家族からの要望に基づいて決定されたはずの食事形態・内容が守られず、不適切な食事が提供された結果として誤嚥事故が起きたのであれば、それは介護施設側の重大な過失(安全配慮義務違反)として、法的責任を問われる可能性があります。
このコラムでは、以下の点について、介護事故に詳しい弁護士の視点から、具体例を交えつつ分かりやすく解説します。
1 介護施設には、利用者に合わせて食事形態・内容を適切に決定し、提供する義務があること。
2 ケアプランや食事箋の指示と、それを遵守することの重要性。
3 どのような場合に、食事提供の不備として施設の法的責任が問われる可能性があるのか?
4 ご家族として、何を確認し、どのように対応すべきか?
提供された食事が本当に安全なものだったのか、その疑問を解き明かし、今後の対応を考えるための一助となれば幸いです。
本コラムの構成
第1 はじめに:「お願いしていた食事と違う…」それが事故の原因では?
第2 「安全な食事」を提供する施設の義務:食事形態・内容の決定プロセス
第4 施設の責任が問われる具体的なケース:「違う食事」が提供された事例
第2 「安全な食事」を提供する施設の義務:食事形態・内容の決定プロセス
介護施設は、利用者との契約に基づき、安全で適切な介護サービスを提供する義務(安全配慮義務)を負っています。食事に関して言えば、単に栄養バランスの取れた食事を提供すれば良いというわけではありません。利用者一人ひとりの「噛む力(咀嚼機能)」と「飲み込む力(嚥下機能)」に合わせて、誤嚥のリスクを最小限にするような食事形態・内容で提供することが重要です。
1 なぜ食事形態の調整が必要なのか?
加齢や病気(脳梗塞後遺症、パーキンソン病、認知症など)により、食べ物をうまく噛めなくなったり、飲み込むタイミングがずれたりすると、食べ物が気管に入ってしまう「誤嚥」のリスクが高まります。そこで、利用者の状態に合わせて食事の「形」を変えることで、安全に食べられるように工夫する必要があるのです。
⑴ 刻み食(きざみしょく)
食材を細かく刻んだもの。噛む力が弱い方向けですが、口の中でばらけやすく、かえって誤嚥しやすい場合もあるため注意が必要です。刻む大きさ(例:5mm角、1cm角など)の指定も重要になります。
⑵ ミキサー食・ペースト食
食材をミキサーにかけてなめらかなポタージュ状やペースト状にしたもの。噛む必要がなく、飲み込む力が非常に弱い方向けです。
⑶ ソフト食(軟菜食)
歯茎や舌で潰せる程度に柔らかく調理したもの。形はある程度残っており、見た目の食欲も保ちやすいですが、調理に工夫が必要です。
⑷ ゼリー食・ムース食
食材をゼリーやムース状に固めたもの。まとまりが良く、喉の滑りが良いのが特徴です。
⑸ とろみ食
水やお茶、汁物などの液体に「とろみ調整食品」を加えて、飲み込みやすくしたもの。とろみの濃度(薄い、中間、濃いなど)は、利用者の状態に合わせて調整する必要があります。
これらの食事形態は、それぞれメリット・デメリットがあり、どの形態がその利用者にとって最も安全で適切なのかを、施設は専門的な視点で見極めなければなりません。
2 食事形態・内容を決定するプロセス
適切な食事形態・内容を決定するためには、施設は以下のようなプロセスを適切に行う義務があります。
⑴ 正確なアセスメント(評価)
まず、利用者の嚥下機能、咀嚼機能、口腔内の状態、認知機能、全身状態などを正確に評価する必要があります。このアセスメントは、入所時だけでなく、定期的に、そして状態変化時(むせが増えた、体重が減ったなど)にも行われるべきです。
⑵ 多職種による連携・検討
アセスメント結果に基づき、介護職員、看護職員、管理栄養士、そして必要に応じて医師、歯科医師、言語聴覚士(ST)といった専門職が連携し、利用者にとって最適な食事形態、とろみの必要性や濃度などを協議・検討します。
⑶ 本人・家族への説明と意向確認
アセスメント結果と、それに基づいて推奨される食事形態について、本人および家族に分かりやすく説明します。安全確保が最優先ですが、本人の好みや家族の意向も可能な限り尊重する姿勢が求められます。安易に本人の希望を優先してリスクの高い食事を提供することは、施設の義務違反となりえます。
この一連のプロセスを経て、利用者ごとに最適な食事形態・内容が決定されます。もし、この決定プロセス自体が不十分であった場合、その結果として提供された食事が不適切となり、事故に繋がったのであれば、施設の責任が問われることになります。
第3 食事内容の検討・指示・遵守に関する施設の義務
アセスメントを経て、利用者の状態がある程度把握できたとしても、それだけで施設の義務が果たされたわけではありません。そこからさらに、「①具体的な食事内容を検討する義務」「②検討した内容を明確に記録(指示)する義務」「③その指示を確実に遵守する義務」という一連の義務を適切に果たす必要があります。
1 正確なアセスメントに基づく具体的な食事内容の検討義務
施設には、アセスメント結果に基づいて、利用者にとって最も安全かつ適切な食事形態・内容を、具体的に検討する義務があります。これは、単に「刻み食」といった大枠を決めるだけでなく、刻む大きさ、とろみの濃度、禁止食材など、専門的知見に基づいて具体的に協議・検討することが求められます。
2 検討結果を明確に記録(指示)する義務
検討された食事内容は、関係者全員が正確に理解し、確実に実行できるよう、具体的かつ明確に記録(指示)されなければなりません。
⑴ ケアプラン(介護サービス計画書)
食事に関する項目に、「食事形態:〇〇食(例:1cm刻み)」「水分:とろみ(〇〇濃度)を付与」のように、具体的な内容を記載します。
⑵ 食事箋(しょくじせん)・栄養ケア計画書
より詳細な食事内容の指示書です。食事形態、エネルギー量、アレルギー情報、禁止食材、とろみの種類や濃度などが詳細に記載されるべきです。「刻み食」だけでなく「〇〇mm以下の刻み」のように、誰が担当しても同じものが提供できるように、具体的に記載されている必要があります。
3 決定事項(指示)を遵守し、確実に提供する義務
ケアプランや食事箋にどれだけ適切な指示が書かれていても、それが実際に提供されなければ意味がありません。
⑴ 情報共有の徹底
指示内容は、食事の提供に関わる全ての職員に正確に周知徹底されなければなりません。
⑵ 配膳時の確認(ダブルチェックなど)
利用者に食事を提供する際、トレイ上の名札と食事内容が、その利用者の指示と一致しているかを確実に確認する体制が必要です。
⑶ 調理の適切性
調理部門は、食事箋の指示に基づいて、適切な大きさ・硬さ・形態で調理する義務があります。
ア 刻み食であれば、指示された大きさに均一に刻まれているか?
イ ソフト食であれば、本当に歯茎や舌で潰せる硬さになっているか?
ウ とろみであれば、指示された濃度で、ダマにならずに適切に付けられているか?
⑷ 指示変更時の迅速な対応
食事指示が変更された場合、その情報が速やかに関係部署に伝達され、次の食事から確実に反映される体制が必要です。
もし、これらの検討、記載、遵守のいずれかに不備があり、その結果として「指示と違う」食事が提供され、誤嚥事故が発生したのであれば、施設側の安全配慮義務違反が強く疑われます。
第4 施設の責任が問われる具体的なケース:「違う食事」が提供された事例
ケアプランや食事箋の指示と違う食事、あるいは利用者の状態に明らかに合わない食事が提供され、誤嚥事故が発生した場合、施設の法的責任が問われる可能性は非常に高くなります。
1 配膳ミス・確認漏れ
⑴ 状況
ケアプランではAさんには「ミキサー食」、隣の席のBさんには「普通食」が指示されていた。しかし、配膳担当の職員がトレイを取り違え、Aさんに普通食を提供してしまった。Aさんは普通食を口にし、窒息した。
⑵ 法的評価
これは、施設側の初歩的かつ重大な過失です。配膳ミスは、誤嚥事故に直結する極めて危険な行為であり、これを防ぐ体制を構築・遵守する義務を怠ったとして、施設の責任は免れないでしょう。
2 調理内容の不備・指示の不徹底
⑴ 状況
利用者には「1cm角以下の刻み食」が指示されていた。しかし、調理担当者が指示をよく確認せず、不十分な刻み方(大きな塊が混ざっている)の食事を提供した。利用者はその大きな塊を喉に詰まらせた。
⑵ 法的評価
調理部門も介護サービス提供の一部であり、安全な食事を提供する責任を負っています。指示通りの適切な調理を怠った場合、調理部門の管理体制や施設全体の連携体制の不備として、施設の責任が問われます。
3 アセスメント結果と乖離した食事の提供
⑴ 状況
嚥下機能評価で「ミキサー食が望ましい」という結果が出ていたにも関わらず、施設側が「本人が食べたがらないから」といった理由で、十分な検討や家族への説明なく、刻み食の提供を続けていた。結果、誤嚥事故が発生した。
⑵ 法的評価
アセスメントはその結果を無視してリスクの高い食事を提供し続けることは、重大な注意義務違反となります。「本人が嫌がるから」といった理由は、安全確保の義務を放棄する正当な理由にはなりません。
4 とろみの付け忘れ・濃度の誤り
⑴ 状況
水分には「中間濃度のとろみ」が必要な利用者に、職員がとろみをつけ忘れて食事を提供してしまった。利用者はむせて誤嚥した。
⑵ 法的評価
とろみの有無や濃度は、誤嚥リスクに直結する重要な要素です。施設にはミスを防ぐための確実な手順とチェック体制を構築する義務があります。これを怠った結果の事故であれば、責任を問われる可能性が高いです。
5 禁止されていた食材の提供
⑴ 状況
ケアプランで「餅、こんにゃくは禁止」と明確に指示されていた利用者に、行事食などで誤って餅が提供され、窒息した。
⑵ 法的評価
特定の食材が明確に禁止されている場合、それを誤って提供することは極めて重大な過失です。情報共有とチェック体制の不備について、施設の責任が厳しく問われます。
6 リスク説明が不十分なまま、家族等の希望を優先した
⑴ 状況
施設側は「ペースト食」を推奨したが、家族が「少しでも形のあるものを」と希望した。施設側は、刻み食に変更した場合の具体的な誤嚥リスクを十分に説明しないまま、安易に希望を受け入れて提供した結果、誤嚥事故が発生した。
⑵ 法的評価
たとえ家族の希望があったとしても、専門家としてリスクを判断し、それを丁寧に説明して安全な方法を提案するのが施設の義務です。「家族が希望したから」という言い分は通用せず、施設の責任が問われることになります。
第5 ご家族として確認すべきこと・取るべき行動:指示と実際の食事内容を示す証拠
「提供された食事が不適切だったのではないか?」という疑いを検証するためには、「本来提供されるべきだった食事」と「実際に提供された食事」を明らかにし、その不一致を客観的な証拠で示す必要があります。
1 実際に提供された食事内容の確認
⑴ 事故時の食事の確認
もし事故発生時に食事が残っていれば、現物や写真の確認、内容物の記録を依頼します。
⑵ 施設への聞き取り
事故当日、どのような食事が、誰によって調理・配膳されたのかを具体的に確認します。
2 介護記録の開示請求と詳細な分析
⑴ ケアプラン(介護サービス計画書)
どのような食事形態、とろみの有無・濃度などが具体的に指示されていたかを確認します。
⑵ 食事箋(しょくじせん)・栄養ケア計画書
最も詳細な食事指示書です。具体的な食事形態(刻みの大きさなど)、とろみの濃度、禁止食材などが記載されているはずです。
⑶ 食事摂取記録・配膳表(チェック表など)
毎食、どのような食事が提供されたかを記録する帳票です。指示と一致しているかを確認します。
⑷ 経過記録(ケース記録、看護記録など)
食事形態の変更に関するアセスメント結果や、カンファレンスの議事録、日々の食事の様子(むせなど)に関する記録を確認します。
3 医療記録の分析
⑴ 診断書・診療録(カルテ)
搬送先の医療機関の記録から、窒息の原因となった食べ物が特定できる場合があります。
これらの分析を通じて、「不適切な食事が提供された」という事実と、それが「施設の過失」によるものであることを立証していきます。介護事故に詳しい弁護士に相談し、証拠収集の段階からサポートを受けることが、真相究明への確実な道筋となります。
第6 Q&A:「食事形態・内容」に関する疑問
食事形態や内容の適切性に関して、ご家族からよくある質問にお答えします。
Q1:「ソフト食」や「刻み食」なら、誤嚥のリスクは低いと考えてよいですか?
A1:いいえ、一概にそうとは言えません。個々の利用者の嚥下能力に、その形態が本当に合っているかどうかが重要です。
⑴ ソフト食
柔らかくても、ある程度の大きさがあるため、飲み込む力が弱いと喉に詰まらせる可能性があります。
⑵ 刻み食
口の中でバラバラになりやすく、かえって気管に入りやすい(誤嚥しやすい)ことがあります。
Q2:提供された食事のとろみの濃度が、指示と少し違っていたようです。わずかな違いでも、施設の責任問題になりますか?
A2:はい、責任問題になる可能性はあります。とろみの濃度は、安全な嚥下のために利用者ごとに精密に設定されるべきものです。「少しの違い」が誤嚥のリスクを高めたと医学的に判断されれば、指示通りの濃度で提供する施設の基本的な義務が果たされていないことになります。
Q3:食物アレルギーを伝えていたのに、アレルゲンを含む食事が提供されました。施設の責任を問えますか?
A3:はい、法的責任を問える可能性が非常に高いです。アレルギー情報は生命に関わる重要な情報であり、施設はそれを正確に把握し、確実にアレルゲン除去食を提供する義務があります。情報伝達ミスや確認漏れは、施設の重大な過失と判断されるでしょう。
第7 まとめ:口に入るものだからこそ、細心の注意と確実な提供を
毎日繰り返される「食事」。それは、利用者の生命と健康、そして生活の質に直結する極めて重要な行為です。
利用者一人ひとりの「噛む力」「飲み込む力」を正確に評価し、その結果に基づいて最適な食事形態を決定し、それを明確に指示し、全ての職員がその指示を確実に遵守する――この一連のプロセスを確実に行うことが、介護施設に課せられた重い法的義務です。
「刻み食をお願いしていたのに、普通食が出ていた…」
「とろみが必要なのに、ついていなかった…」
もし、このような「指示と違う」「状態に合わない」食事が提供されたことが原因で誤嚥事故が起きたのであれば、それは単なるミスではなく、施設の安全配慮義務違反です。
疑問を感じたら、
1 ケアプランや食事箋の指示内容を確認する。
2 実際に提供されていた食事に関する記録を確認する。
3 介護記録全体や医療記録と照らし合わせ、矛盾がないか検証する。
4 そして、介護事故に詳しい弁護士に相談し、法的な観点から評価を受ける。
これらの行動を通じて、真実を明らかにし、然るべき責任を追及することが可能です。口に入るものだからこそ、施設には最大限の注意と確実性が求められます。その責任が果たされていたのか、一緒に検証していきましょう。