第1 はじめに:認知症利用者の徘徊と施設の安全配慮義務
認知症の症状の一つである徘徊(歩き回り)の最中に利用者が転倒した場合、施設側の対応や安全管理体制に問題がなかったか、ご家族が疑問を持つのは当然のことです。
介護施設は、認知症の症状を理解した上で、徘徊行動がある利用者に対し、その尊厳を守りつつ、転倒等の事故から安全を守るという法的義務(安全配慮義務)を負っています。「認知症だから仕方ない」という理由だけで、施設の責任が免除されるわけではありません。
本稿では、認知症による徘徊中の転倒事故について、施設に求められる具体的な安全確保義務の内容、どのような場合に施設の法的責任が問われるか、そしてご家族が確認すべき事項について解説します。
本稿の構成
第2 徘徊行動に伴う転倒リスクの要因
認知症の利用者の徘徊(歩き回り)行動が転倒につながりやすいのは、認知症の各症状が複合的に影響するためです。施設はこれらのリスク要因を理解し、対策を講じる必要があります。
1 認知機能の低下による影響
⑴ 注意力・集中力の低下
歩行や周囲の環境への注意が散漫になり、バランスを崩しやすくなります。
⑵ 危険認識能力・判断力の低下
段差や障害物などの危険を認識・判断できず、危険な通路を選択したり、無理な行動をとったりすることがあります。
⑶ 視空間認知の障害
距離感や位置関係の把握が困難となり、物に衝突したり、段差を踏み外したりするリスクが高まります。
2 行動・心理状態による影響
⑴ 疲労の蓄積
長時間歩き回ることによる疲労で、足元がふらつきやすくなります。
⑵ 不慣れな場所への侵入
目的を持って移動する中で、普段立ち入らない暗い場所や不慣れな場所に侵入し、転倒するリスクがあります。
第3 徘徊傾向のある利用者に対する施設の法的義務
施設は、利用者の尊厳を守り行動を過度に制限することなく、同時に安全を確保するという安全配慮義務を負っています。身体拘束は原則として禁止されており、専門的な知識に基づいた具体的な対応が求められます。
1 リスク評価(アセスメント)の実施
徘徊のパターン(頻度、時間帯、場所、きっかけ等)や、それに伴う転倒リスク(歩行状態、危険認識能力等)を詳細に評価・分析する義務があります。
2 個別的なケアプランの策定
リスク評価に基づき、利用者一人ひとりに合わせた具体的な対応策をケアプランに反映させる必要があります。
⑴ 徘徊の原因への対応(トイレ誘導の頻度調整、不安の軽減など)
⑵ 重点的な見守り体制の計画(人員配置、巡回頻度など)
⑶ 環境整備計画(危険な場所へのアクセス制限など)
⑷ 離床センサー等の活用計画
3 見守り体制の強化
徘徊が多い時間帯への手厚い人員配置や、徘徊中の利用者の状態を注意深く観察し、危険な兆候があれば早期に介入することが求められます。
4 安全な環境整備
⑴ 安全な動線の確保(廊下等の障害物除去、滑りにくい床材の使用)
⑵ 適切な照明の確保(特に夜間)
⑶ 危険な場所(階段、ベランダ、非常口等)へのアクセス制限(施錠管理の徹底など)
⑷ 手すりの設置
5 センサー類の適切な活用
離床センサーや人感センサーをリスクに応じて効果的に設置し、作動時に職員が速やかに現場を確認・対応できる体制を構築する義務があります。
第4 施設の責任が問われうる具体的な事例
徘徊中の転倒事故において、施設の法的責任が問われる可能性が高い具体的な事例は以下の通りです。
1 徘徊リスクを認識しながら見守り・環境整備が不十分だった
転倒リスクが高いと評価されていたにもかかわらず、それに見合った見守り体制を確保せず、また廊下の障害物を除去するなどの環境整備を怠った結果、利用者が転倒したケース。
2 センサーが未設置または作動時の対応が遅れた
ケアプランで必要とされていた離床センサーを設置しなかった、あるいはセンサーが作動したにもかかわらず職員が速やかに訪室せず、その間に利用者が転倒したケース。
3 危険な場所への立ち入り制限が不十分だった
施錠管理が徹底されておらず、利用者が階段室やベランダなど危険な場所に立ち入って転倒・転落したケース。
4 不適切な身体拘束により事故を誘発した
徘徊を防ぐ目的で不適切な身体拘束(例:車椅子へのY字ベルトでの固定)を行い、利用者がそれを無理に外そうとして転倒したケース。
第5 施設の責任が限定・否定される場合
施設が必要な対策を講じていても、なお不可抗力的に事故が発生した場合には、施設の責任が限定・否定される可能性があります。
1 予見・回避が困難な突発的事故
施設が客観的に見て高度かつ個別的な対策(重点的な見守り、複数のセンサー設置、安全な環境整備など)を講じていたにもかかわらず、予測不能な利用者の動きによって瞬間的に転倒した場合。
2 制止が極めて困難な状況
職員がすぐそばで見守り、制止しようとしても、利用者が強い意思でそれを振り払うなどして危険な行動に及び、転倒した場合。ただし、その行動リスクに対する事前の対策が十分であったかが厳しく問われます。
第6 ご家族が確認すべき事項と証拠収集の方法
施設の対応が適切であったかを検証するためには、客観的な証拠の収集・分析が重要です。
1 アセスメントとケアプランの確認
徘徊リスクがどう評価され、それに対してどのような具体的な対策が計画されていたかを確認します。
2 介護記録の分析
経過記録、事故報告書、ヒヤリハット報告書などを開示請求し、日々の徘徊の状況、職員の対応、過去の類似事例の有無などを精査します。
3 施設環境の確認
廊下の動線、危険箇所の施錠管理、センサーの設置状況などを確認します。
第7 Q&A:「徘徊と転倒」に関する疑問
Q1 本人が自分の意思で歩いて転んだ場合でも、施設の責任を問えますか?
A1 はい、問える可能性は十分にあります。介護施設は、認知症により判断力や危険認識能力が低下している利用者の特性を理解した上で、安全を確保する高度な注意義務を負っています。必要な対策を怠っていたのであれば、施設の法的責任が問われます。
Q2 センサーを設置していたのに転倒しました。それでも施設の責任を問えますか?
A2 はい、問える可能性があります。センサーは設置するだけでは不十分であり、その運用体制が重要です。①センサーが利用者の行動パターンに適した場所に設置されていたか、②作動時に職員が速やかに駆けつけられる体制が構築・運用されていたか、が問われます。駆けつけが遅れた場合や、頻繁な誤作動を理由に対応が形骸化していた場合などは、施設の管理体制の不備として責任を問われることがあります。
Q3 施設から「人員不足でこれ以上の見守りは限界だ」と言われました。
A3 人員不足は、直ちに施設の免責理由とはなりません。利用者の安全確保に必要な人員を配置することは施設の経営責任であり、人員不足自体が施設の管理体制の不備、すなわち安全配慮義務違反を構成する可能性があります。
第8 まとめ:徘徊中の事故は施設の体制を検証すべき
認知症の利用者の徘徊中の転倒は、「仕方ない事故」ではありません。その背景には、個々の利用者のリスクに対するアセスメント不足や、見守り・環境整備・センサー活用といった具体的な対策の不備など、施設側の安全配慮義務違反が隠れている可能性があります。
施設の責任を検証するためには、介護記録などの客観的な証拠に基づき、徘徊というリスクに対して施設が組織としてどのように向き合い、対策を講じていたかを評価することが重要です。
施設の対応に疑問を感じた場合は、介護事故に精通した弁護士にご相談ください。